留年対談1留は、1流になる

MEMBER

"1留→1流"になった先輩に話を聞いてみた

起業(ビジネス)、学問の追求、サークル、放浪など、さまざまな事情で留年という"回り道"をしてしまった方に熱いエールを贈る留年採用。スペシャル企画として、留年時代から広告界での今の活躍に至る経験を積んできたPARTYファウンダー/クリエイティブディレクターの中村洋基さんを迎え、東急エージェンシーきっての留年経験を持つプランナー2名が話を聞いた。

留年とは未来への準備期間である

丸本

東急エージェンシーでは今年、「留年だらけの会社説明会」を開くなど、遠回りをしてしまったけど、熱意ある就活生を応援する採用企画を行います。そこで今日は、留年をものともせず広告界で大活躍されている中村さんにお話を伺いにきました。ちなみに、私は4留しています。

新井

僕は2留です。1度目の留年は単純に単位が足りなかったのですが、2度目は第一志望の広告会社に内定していたのに、"単位の数え間違い"という事態になってしまって…。親にも頭を下げまくり、卒業旅行はキャンセル、当時はかなり落ち込みました。

中村

2人に比べると、僕は1年、ライト留年だよ。学生時代は演劇に打ち込んでいたんだけど、途中で所属劇団が解散して、やることがなくなって。劇団の人脈でWebプロダクション会社で下働きして、気がついたら4年が終わってました。「留年しとこう」と思って、体育ができる1単位だけ残して、5年目はトランポリンだけやって。デジタルの仕事をフリーランスとして受けていました。

丸本

中村さんのベーシックなスキルは、そのときに身につけられたんでしょうか?

中村

そう。だけど、その時はそれが人生を賭けてやる仕事になるという確信はなかったな。そのまま突き進んでいいのか分からなくて、1年考える時間をもらったという感じ。ところで、丸本さんはなぜ4回も留年を?

丸本

サークルでバンド活動をやっていたら、時が過ぎ去っていました。プロを目指していたわけでもないんですが、周りに個性的な人たちがたくさんいて。その渦の中にいれば自分も将来きっと楽しいことをやれるようになるという予感があったんです。

新井

社会人になって丸本と初めて会ったとき、僕はまだ若干留年を引きずっていたのですが、明るく「全然、大丈夫だよ!おれは4回留年してるから!」と励まされ、かなり驚いたのを覚えています。

中村

惰性の留年じゃなくて、「夢中になれるものがあったから留年しちゃった」のはいいよね。目の前の面白いことをやっていたら、気づけば仕事につながっているということもある。僕も採用面接をするけど、留年をビハインドだとは思わないな。留年する理由がきちんとあったら。

Web黎明期に留年したことの意味

丸本

中村さんの留年を含む学生生活について、もう少し教えていただけますか?

中村

もう20年も前だよ!当時はナローバンドで、初代iMacが出たころかな。iMacを買った先輩から昔のMacを譲り受けて、友人のお芝居のチラシをAdobe Illustratorでつくってて。メモリ8MBとかですよ。

新井

まさにWeb黎明期という感じです。

中村

あの時代は雑誌にCD-ROMなるものがついてました。それを1枚製作して100万円ぐらい。CD-ROMは、Macromedia Directorというソフトで制作していた。プログラミングは、中学時代にBASICをいじっていたので、むしろ好きだったな。そのときの社長が「これからはインターネットだ、Flashだ!中村くんもFlashをやれ」と。それで、Flashを使っていたら、リッチなWebサイトのデファクトスタンダードになったので、運がよかった。

丸本

いつの間にか時代の潮流に合っていたんですね。

中村

就職活動は、まったくしなかった。当時『ジャパニーズ・ドリーム(ダイヤモンド社刊)』という面白い名前の著作を出した、某21世紀を代表する会社と、ラジオだけ受けたけど、両方落ちた。落ちたというか、そもそも留年した。

新井

確かその創業者の方も留年していたかと。

中村

Web制作で生計を立てながら、たまに大学にトランポリンをポヨーンと飛びに行く、という何も考えていない留年生活に突入しました。ムチャクチャ仕事はしたけど。

「開き直り」、「捨て身の姿勢」もチャンスになる

新井

それから業務委託を経て電通に入社され、インタラクティブキャンペーンを中心にさまざまな業績を打ち立てられますが、留年中の忘れられない思い出はありますか?僕はシェアハウスの運営を始めて、イベントを自主開催したりしていました。順風満帆な社会人生活を送れるはずだったというプライドを捨て留年を開き直ったら、人とコミュニケーションするのが断然楽しくなって。

中村

シェアハウス、いいじゃん!行動力や統率力があって、うらやましい。僕パソコン使うなら、どんな仕事でもやったな。映画が始まる前の、なんていうのあれ、「20世紀FOX」みたいなやつ。あのCG映像の製作を受注して、帰りに3DCGの本買ってきて、見よう見まねでつくった。締切1日前に「できた!」と思って「レンダリング」ボタンを押したら、「レンダリング完了まであと80時間」って表示されたのをよく覚えてます。

丸本、新井

絶望的なスケジュールですね……。

中村

それで、秋葉原に行って自作PCを5台買って。自宅で組み立てて、分割レンダリングしてなんとか間に合わせた。終わった後、いらなくなった自作PCを、当時付き合っていた彼女に「これ、プレゼント」って言ったら、すごいイヤな顔されたのを覚えてます。

丸本

自分でPCを買ってまで、締切に間に合わせるという気概はどこから?

中村

うーん……。基本は演劇。お芝居って、小道具や舞台装置にちょっとミスがあっただけで、その公演の全てがダメになっちゃうんだよね。だから、学生時代に「責任持って作りきれ」という文化は刷り込まれた。あと、以前どうしても締切に間に合わなかったときに、クライアントに「まぁ、学生なんてこんなもんだよね」と言われて、ちくしょう、と。それに、丸本さんがサークル仲間に刺激されたように、大学5年生のフリー時代にも、協力できる仲間がいたことも強いな。

新井

僕も一緒に留年を経験した友人とは、戦友みたいな関係性です。

中村

大学のときに「aikoのオールナイトニッポン」が好きで、Webサイトを作らせてくださいと単身乗り込んで結果的には作れなかったけど、ニッポン放送にも転がり込んで仕事をするようになった。

丸本

留年生という何者でもない、ある種の捨て身の姿勢だからこそできたトライかもしれませんね。

コンプレックスを逆張りの思想で挽回せよ

新井

社会人になって留年経験が生かされたということはありますか?

中村

たくさんあるよ。いわゆるプロパーとは違うので、自分が認めてもらわないと生き残れない、と思って、過剰に仕事してましたね。初めは週3勤務だったし。月水金。広告会社で週3って、聞いたことないでしょ(笑)。あとは、確定申告もしていたし、金銭感覚も勉強したな。コンプレックスもいくらかあったと思うし。

丸本

ストレートに入社した人たちに対してですか?

中村

うん。いわゆる派遣とか業務委託っていう形態だったんだけど、僕らだけ、メアドが番号なんだよね(笑)。社員は名前で呼ばれるのに、僕は「おーい、1397!」みたいな。それがメッチャ嫌で、超えてやるぞって思ってた。

新井

留年した結果、「これはやらない」と決める部分はありましたね。新卒で入った会社では、一般的な成長プロセスとしてこうしたほうがよいというアドバイスはあったのですが、それだと年齢のハンデもあるし、どこかにステータスを振っていかないと、周りの期待値を超えられない気がしたんですよね。

丸本

わかる。私も4回留年していると、同い年のプランナーと比べたときに、キャリアの浅さから明確にできないことがあって。そういうビハインドをひっくり返すためには、企画をするうえで、他の人がまだ手を付けられていないけれど、今後重要になりそうなことに戦略的に逆張りしていかないとならなかったですね。

あえての逆境をつくる
ーー留年生へのメッセージ

中村

仕事の動機といえば、『モチベーション革命 稼ぐために働きたくない世代の解体書(幻冬舎刊)』という本を読んで。生まれたときからなにもかもが揃っていた最近の世代には、埋めるべき渇望が見つかりにくい、という内容。僕らの世代は、何でも渇望になるし、留年だって、コンプレックスがバネになって、その渇望を増幅させていた。そういうルサンチマンを仕事にうまく向けている人は、成功しやすいし信用おけるよね。

丸本

そうですね。留年に限らず自分の中に抱えている "闇"を、いかに前向きに昇華できるかが社会人として大事なポイントだという気がしています。

新井

僕も最初は留年に打ちのめされそうになりましたが、一見ネガティブな経験でも、ポジティブなものに変えるパワーが身につきました。それを広告の仕事でも生かしたいですね。

中村

ストレートで社会に出ていないことで逃しているチャンスは絶対にある。知らないうちに、選択肢が消えてるんです。だからこそ、留年という逆境をフックに、「ここで根性みせないとヤバいぞ」と自分を追い込める人間には、むしろ留年も価値あることかもね。これを読んで「自分のことだ!」と思った人はぜひ東急エージェンシーかPARTYへ。

ページトップ